旭化成ファーマの米国進出(MeltDose製剤物語)

 旭化成ファーマが米国Veloxis社の株式公開買い付けを発表しました(2019.11.25)。MeltDoseという製剤技術をもち、臓器移植時の免疫反応を抑制するタクロリムス(旧藤沢のプログラフ。特許切れ)製剤を販売している、デンマークに本社をもつ企業です。その技術力を入手するとともに、営業基盤を獲得して米国医薬品市場へ進出する橋頭保を築くためとしています。

 MeltDoseという製剤技術に聞き覚えがありました。Veloxisというのは社名変更しており、旧社名はLifeCycle Pharmaとわかり記憶がよみがえりました。わたしがベンチャーキャピタル業務で米国に赴任していたのは、2007年~2010年ですが、その折にLifeCycle Pharmaを訪問し、MeltDose製剤設備を見学したことがあります。ひと昔前の話だな、それを何でいまごろと思い、しらべてみました。

 この技術は、ベンチャーで開発されたものではなく、欧州における中枢領域の雄であるルンドベック社で開発されたものです。難溶性の医薬原薬を有機溶媒に溶かし、細いノズルから支持媒体に向けて噴射し、いまでいうナノパーティクルとして付着させることで、製剤化する技術です。ルンドベックは人員ごと技術をスピンオフし、LifeCycle Pharmaを設立しました(2002年)。その折に、欧州における糖尿病領域の雄であるノボノルディスク社と、ジョイントベンチャーとし、両社は36.6%ずつ均等に出資しています。残りを米国ベンチャーキャピタルのアルタ・パートナーズが出資して、2007年には米国に進出しています。わたしが米国にいたころ、ベンチャーキャピタル同業としてAltaとの交流があり、Altaに誘われて、LifeCycle Pharma米国を見学したことを思い出しました。

 LifeCycle Pharma社の企業案内2008年版というのが、まだWebから入手できます。当時はMeltDose技術への期待が大きく、腎移植免疫抑制のタクロリムス製剤がP-3開始段階、肝移植抑制のタクロリムス製剤がP-2段階、自己免疫性肝炎タクロリムス製剤がP-2開始、免疫抑制剤3301がP-1開始であり、さらに基礎段階としてコレステロール低下剤を3剤かかえる、スタートアップとしては堂々たる布陣の企業でした。そもそも、ルンドベックがこの製剤技術を開発した折には、非常に幅広い疾患領域に適用できると考えており、重点化策として、タクロリムス製剤化による免疫抑制領域と、糖尿病、高脂血症などを優先するとして、ノボと組んだわけです。当時の期待の高さは、LifeCycle Pharmaデンマークの株価にも表れており、30DKK(結果としては最高値)でした。

 しかし、製剤技術の製品化は難航に難航を重ね、株価も2008年には20DKK、2009年には8DKK、2010年には4DKK前後、2011年には1~2DKKと下がり続け、2013年からは1DKKを割っています。まあ、株価的には破産状態と言えます。Alta Partnersも苦しんだでしょうが、ルンドベックとノボがついているので、P-3を続けながら生きながらえたのでしょう。そしてついに、2015年にFDA承認を得ます。しかし、株価は承認が見え出した2014年末こそコンマの世界から、1DKK超えまで、やや上昇を見せたのですが、承認を得ても、製品の限界がわかって、またコンマの世界に逆戻りしてしまうのです。

 タクロリムスは、旧藤沢薬品(現アステラス)が、つくばの土中から分離した細菌成分で、免疫抑制という領域を切り開いた画期的な医薬品です。藤沢は米国に進出しプレゼンスを確かなものにしました。しかし基本特許が切れ、微粒子による1日2回除放経口剤を開発し、市場を維持しています。LifeCycle PharmaのMeltDose製剤は、1日1回の経口剤ですが、アステラス製剤との比較臨床試験において、非劣勢を証明してFDA承認を得たものです。原薬が同一なので、血中動態などで付加価値を得られなければ、先行品を凌駕(優勢)することはあり得ず、頑張って同等(非劣勢)の成績しか得られないわけです。非劣勢で承認された以上は、販売促進資料において、アステラス競合品に対して、優れているという表現は使えません。オリジネーターとして、市場で圧倒的な存在感を示す競合品に対して、非劣勢の後発品を販売するには、価格勝負(米国では自由薬価)くらいしかありませんが、それでは消耗戦となり、アステラスを追うベンチャーには、規模の点で勝ち目がないのです。それが、株価に反映されています。

 そして、発売以後2019年までコンマの世界を低迷した株価が、突然5DKKまで急上昇するのは、旭化成ファーマによる株式公開買い付けのニュースが出てからなのは、皮肉な話しです。まあ、このLifeCycle Pharmaストーリーは、ベンチャーキャピタルにとっては、なかなか興味深い話しです。独立した2002年をみれば、ルンドベックとノボが過半を出資するスキームであり、広範な疾患領域への応用が期待される基盤製剤技術のスタートアップとして、ピカピカの優良案件だったことでしょう。

 そして船出をしてみれば、豊富なパイプラインを抱え、それらが次々に臨床に入り、開発ステージをP-3へと進めて行き、意気揚々たる案件です。このころに、何社がどれだけ追加出資に応じたかは、資料がなくわかりませんが、多数であったと想像できます。しかしながら、後期臨床で難航します。申請してもFDAから却下され、開発し直しが続きます。結局、一本に絞り、製造承認を得たのは2015年であり、設立から実に13年低迷し続けたことになります。MeltDose特許も2022年には切れます。ベンチャーキャピタルの出資回収は、長くて10年であり、これだけ低迷した投資案件では、担当者の苦労ははかり知れません。何とか販売にこぎつけ、販売員50人を擁して売上高USD39Mほどにはなっていますが、USD6Mほどの赤字決算です。それが、日本の製薬企業に1,432億円で売却できるのです。担当者たちが、この想像もしていなかった僥倖に祝杯を挙げたであろうことは、容易に想像できます。

 旭化成ファーマは、この買収で何が欲しかったのでしょう。このMeltDose製剤技術に限界があるのは、その開発の歴史が証明しています。旭化成のプレスリリースをみると、Veloxisデンマークに興味はなく、その米国事業の獲得により米国進出を果たすことに価値を見出したようです。腎移植領域に特化した50人の販売力が欲しかったようです。

 米国の販売員というのは、日本国内の営業MRとは異なります。国内MRは、医薬情報提供者として資格試験を通る必要があり、製薬企業MRは薬学部出身者が大半を占めます。薬学知識をベースに製品にかかわる情報を提供する必要があります。米国には営業所にあたるものはなく、販売員は自宅ベースで、割り当てられた医療施設の従事者からの注文をとるセールスマンです。前職は食品セールスだったという担当者に会ったこともあります。医療従事者からの専門的な質問に当たるのは、本社にいるMedical Affairsという専門職で、販売とは分業されているのです。

 米国事業を立ち上げるのであれば、一にも二にも、差別化できる製品が必要です。製品力さえあれば、米国には販売員レンタル業者はたくさんあります。米国の販売員は自宅ベースであり、売ってなんぼの世界ですから、差別化できる製品がなければ、それをもつ別の製薬企業に転職します。Veloxis社のセールス担当者が何人かLinkedInで検索できますが、彼らの職歴をみても、2~3年で転職を重ねており、製品力がなければ職を移るのが当然です。

 旭化成ファーマの狙いがどこにあったのかは、今後の事業計画の結果をみる必要があるのでしょう。会社上層部の記者会見記事をみると、事業買収を仲介する証券会社から、対象企業リストを得て、相当数の候補企業から選抜を重ねて、Veloxis社に絞り込んだようです。おなじようなプロセスを知る身としては、担当者の方々が、どのような状況に追い込まれていったかが、想像できるような気がします。プレッシャーの中で、カードを引かざるを得なかったというのでなければ、良いのですが。LifeCycle Pharma—Veloxisの投資家たちの苦労を推測してきたわけですが、旭化成ファーマの担当者の方々による、第二のストーリーが、どう花開くものか、その努力が実を結ぶことを祈りましょう。

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