人工血液の開発秘話(Biopure社の悲劇)

  保存・取り扱いに制限のある輸血を人口血液で置き換える試みの歴史は長く、欧米では軍による開発支援もあり、市場規模は数千億円~1.8兆円規模とも言われています(AheadIntel社市場予想)。それだけに大手製薬企業、バイオベンチャーの開発参入は多いのですが、どれも成功していません。

天然ヘモグロビンの投与は、血中で多量体を形成してしまい、それが抹消組織で目詰まりをおこし、血圧上昇の副作用を引き起こします。そこで多量体を形成できないようにヘモグロビンを化学修飾する方法が開発されてきましたが、ヘモグロビンが⾎管からもれ出し、それが原因で⾎管収縮、血圧上昇の副作用をおこしてしまいます。夢を追うバイオベンチャーが、大規模臨床試験を実施するのは資金確保の点で至難の業です。市場の期待と臨床開発の現実が齟齬を来たすと、真実を隠してまで会社存続を図ろうとする「誘惑」にかられ、実際に虚偽情報による株価操作事件を引き起こすことになるようです。そこには人間のドラマがあるのでしょう。

現実

 BioPure社の開発品HBOC-201(Hemopure)は動物薬用途(犬の貧血)でFDA認可され(1999)、さらに南アフリカで術後の急性貧血用途で認可されました(2001)。2001年にベンチャーとして上場し、生産体制を整えるべく大規模生産設備に投資しています(2002)。しかし難航する大規模Ph-IIIに資金を集中するために、製造要員のリストラ(2003)を迫られています。経営陣はまずは、術後の貧血治療で生物製剤承認申請を提出しました。 しかしながらFDA当局は副作用への懸念(当時は人工血液の開発品の多くについてメタアナリシスの結果、副作用につきグループエフェクトがあるとの報告がありました)と製造不純物懸念(ウシ血液からヘモグロビンを精製しており、混入するウィルスの除去など生物製剤の宿命的な課題です)から臨床中止を命令されています(2003)。しかし会社はこれを公表せず、プロトコールを変更し外傷用途で別の臨床開始申請INDAを行っています。経営陣としては、会社の延命を図ったものでしょう。しかしながらFDAはこれを認めず、会社はFDAが承認に前向きとの虚偽情報を流布したために株価は22%急騰、年末まで虚偽の情報を流し続け、会社はその間の株売却で$35Mを得ています。2003年末には株式の大量売却により株価が急落したため、ついにFDAの承認レターというのは若手弁護士による誤読であったと(苦しい)言い訳を公表し、株価は半値以下に暴落しています。この結果、CEO(元P&Gグローバルヘルスケアプレジデント)、薬事責任者、法務責任者について、証券取引法の虚偽情報による株価操作の罪で訴追されることとなりました。3人は公開企業の役員への就任禁止と課徴金納付命令を受けています(マサチューセッツ連邦地裁訴状05 CA 11853WGY)。BioPureは製造活動を停止し(2008)、全資産をロシア系企業OPK Biotech LLCに譲渡(2009)して企業活動を閉じました(OPK Biotech LLCは名前をかえて、Hemopureについていまも事業を継続しています)。この事件はハーバードビジネススクールのケーススタディーに採用されています。

人間ドラマ

 さらに人間ドラマを演じたのはBioPure上席副社長(薬事責任者) Howard Richman でした。彼は証券取引委員会の訴追を逃れようと、弁護士に医師の声音で電話して、当人は末期の結腸癌で審問には耐えられないと虚偽の説明をして、審問を逃れたのです。しかし、そのことが明らかとなり、訴追された結果、株価操作では問われなかった実刑3年と5万ドルの罰金刑に処せられて服役しています。苦し紛れの最初の小さな非開示が、次から次へと虚偽報告を積み重ね、遂には沸騰点に達して、さらにそこから逃げようと、わかっていても無為にもがくこともあるというのが、人間なのでしょう。

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